オーストラリア ゴールドコースト


初心者だった僕が独立起業に至るまでの道のりを振り返り、これからの人生を想う、、、


独立起業し、又日々奮闘しているホームページの運営者は一体どんな人間なのか??



このホームページの運営者(初心者だったかつてのボク)がいったいどうやって自分で商売を始め今のネットビジネスに至り、そして現在はどうなのか?
愚かだったボクの体験を知れば励みになるかもしれないと思い、ネットや商売等に無知だった時の失敗談や体験談等をご紹介しています、、、
運営者、、、ではありません




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▼△運営者自己紹介△▼

OCCUPATION:
ウェブサイトを運営しそこで関連する商品、サービス等提供

HOME:
横浜で生まれ潮風漂う浜に近い鎌倉等で育つ、、

BIRTH:
メキシコオリンピック開催の頃に誕生

正直、現代の日本で認められる様な経歴等は皆無ですが懐かしい所から思い出してまとめてみると、、、
運営者
運営者

十代後半の老舗豆腐屋での修行的労働にはじまり、ガラス研磨工場を経てアニメでメシが食いたいと代々木のアニメーション学校で2年勉強しアニメーターを目指すが挫折、学生時代の夏休みにはアイルランドへ初めての海外一人旅、そんな中空手に出会い修行?スタート、卒業後宅配ドライバーで資金を貯めてオーストラリア、エストニア等々で長期間過ごし人生観に変化がありその後も海外志向が継続、バルト三国、ロシア、中国、韓国、ポーランド、ウクライナ、スコットランド等、に滞在潜伏多々、いまだ海外志向は弱まらず、そして日本を想い、自分を振り返る日々、、自分で商売を始めた現在は複数ホームページを公開し関連商品を販売、サービスを提供、又未だ懲りずに極真空手の大会にも再チャレンジ、07年に壮年の全日本で3位、08年の春季全関東練成大会一般上級軽量級でなんと優勝(自分でもびっくり苦笑)、、、我ながら色々やってきたな〜と思いますが、未だ人生模索中、、、、

十代後半の豆腐屋の仕事はホント修行といった感じで、老舗豆腐屋の様々な豆腐全てが実は18〜9歳の若造が作っていたとは、しかも1年以上、、毎日作業場兼店舗の反対側から朝から晩まで見てた銀行の駐車場の駐車係おっさん以外はそんな事は知る由も無かったでしょう、そんな豆腐が三越やさいか屋等一流デパートで売られていたわけですからみょ〜な気分でした、、ははは、、、しかし職人的な気質を元々持っていたのか、店の主人より絶対に俺の方が作るのはうまい、と思い込みながら日々製造してました、実際どうだったかは客観的に見れませんが、、、

そんな十代後半を過ごしたボクですが、天邪鬼なボクはただ盲目的に仕事する事に抵抗が有り、雇われているのはある意味とてもラクなのですが、ボクはそういった分かりきった生き方に背を向け茨の道を歩んでいました、、、

趣味、興味のある事と言えば、生命、人間、自然環境、農、食、植物、生物、生態系、武道、格闘技全般、筋トレ、食、健康、気、社会問題、貧困、教育、心理、古い車やバイク(特にアメ車)、語学、異文化、映画鑑賞(男はつらいよ!)、等々でしょうか、、、後、昔はプロレス、特に新日が好きでA猪木の大ファンで、著書、苦しみの中から立ち上がれに勇気をもらいました、、、

若かった頃を振り返ってみると、ボク自身20台半ば頃から今に至るまでいったいどうすれば自分が望む情熱をささげられるような事をしながら暮らしていけるか?とずっと考えてきました。そしてそれは年とともに形を変えながら今でも続いています。

それで振り返ってみて言えるのは、きっと他の道もあったでしょうけれど、今居る自分の信じた道を進んできてまぁ良かったなと、ある意味いえます。

もちろんその途中には失敗や挫折、又人生にはつきものの人との別れ等一般的には否定的な様々な事がありましたが、でもどれもこれもボク自身を成長させ、より寛容になり、新たな人との出会いの機会を与えられ、人間として完成に近づく為の経験を神様が与えてくれたのだと考えれば、全て前向きに捕らえられる様な気がします、いや、そう捕らえたい!!!

オーラの泉じゃないですけど、全ては必然という事でしょうか?、、、

ここではそんなボクの、無知で愚かだった頃からの簡単な足取りと、そして今に至るまでの経緯と現在どうなのか?まで紹介する単なる経歴紹介じゃない(自慢できる経歴も学歴等はありませんし、、、)ページです、ここをご覧頂き多少でもボクについてご理解いただけるとある意味誰でもやろうと思えばやれるんじゃないか?と言う気持ちになってもらえると嬉しいという訳です。

そう、実際なんでもやろうと思えば大抵の事はやれる、多くの人はやらないだけ、、、やる前に答えを出している、面倒くさい云々と、、、色々結果を出している人は単にやり始めて止めなかった、それだけでしょう、、、多分、、苦笑

とにかく今だに色々な事に興味が尽きず、どんどん色々な事を知りたい、又何かにチャレンジしたいという想いを抱いています、何でなんでしょうね〜う〜ん、、、。

ホント、今更ながら学生時代に勉強しなかった事を後悔しているボクですが過ぎ去った時間を取り戻せるわけでもなく、過去に戻ってやり直せる訳でもないので、今出来る事をコツコツやっていっている所です。

でも、その興味あるやりたい事の殆どは直接収入につながる様なものではなく(収入につなげられるのもあるでしょうけれど、、)でもボクの心の中には人が余りやらない事をやってみたいと言う願望があるようです。

収入につながらないけどやりたい事がある、ではそれをどうやって実現するか?、、

そうです、現時点でボクの大きな手助けになっているのがインターネットであり、パソコンであり、又ホームページです。

でも、今こうしてここまで来た自分の人生を振り返ってみると、やって出来ないことは無い、パソコンにしてもやる前は食わず嫌い、、自分から避けてましたが、やれば案外出来るという事に気がつきました。

もちろんやれなかった事はありますし、失敗、挫折もしました。

でも、出来なかった事を良く考えてみるとホントに心からやりたかった事ではない、興味がそれ程ないものだったんですね、そりゃ無理ですよね、、。

要は気持ちも中途半端で、集中力も続かず、情熱もそれ程無いので気力が持ちません、そこであきらめの気持ちが芽生えて、すると結果は大抵駄目で、心のどこかで結果を自分で決め付けてしまったりしているんです。

もちろん興味がそれ程無くても諦めずに努力すればものに出来ると思いますが、興味ある人に比べて相当な忍耐力と努力を必要とするでしょう。

そしてたとえ出来たとしても、それは本当に幸せかどうか、、、その面では諦めるという事はある意味大事でしょうね。

21世紀になる前の世紀末のボクはかなり空手に夢中で(もちろん現在も続けてますが、当時とはちょっと方向が違います、、)多くの時間を空手の稽古やトレーニングに費やしていました。

もちろん将来のことも考えていたのですが、興味ある事は沢山あるけど「これだ!」という方向性が定まっていなかったので、とにかく今しか出来ない事=体力的にきつい事=空手の稽古、試合等、を優先してその後目指そうと思っていたものもやっていた感じです。

ただその当時はこのボクがまさか10年後にパソコンとインターネットを駆使し、自分のホームページ(ウェブサイト)を持ちプログラミングまでしたりして、個人で商売しているとは想像もしていませんでした。

でも小さな一歩を踏み出していく事でどんどん物事は展開していって、その過程で色々なものを吸収し、必然的に夢に近づいていく事は間違いないです。

やれば出来ます。希望、成功、夢、望んでいるものを手放してしまうのはそのもの自体ではなく、自分自身です、と、ラジオ人生相談でお馴染みの加藤先生が言っていましたが、その通りですね。

全くパソコン音痴だったボクが出来たわけですから、あなたに出来ない訳が無い!ボクはそう信じます。

21世紀になってもボクは携帯電話さえ持たず(必要なかったし、皆が持っているので何か持ちたくなかった天邪鬼なボク、、、)パソコンと言えば別世界の代物、マックと言えばマクドナルド、電子メール???何それ?と言った感じ、、、

とにかくボクの知らない不思議な世界があるようだとは思っていましたが、オタク的な感じがしていたのでぜんぜん興味がありませんでした。

20台も後半に差し掛かった時のボクは自分の好きな、あるいは興味ある、得意な事を仕事にして(手に職をつけて)雇われる事、(会社等に勤めるか、フリーランス)で人生をやっていこうと考えていました。

その一つは英語でした。

今でこそ英語圏に行って英語でコミニケーションに困ることは殆どありませんが、学生時代は全く駄目、高校では英語を勉強した記憶すらありません(その後独学で習得)これもボクの心の中でやれば出来るという事の一つの証明になっています。

当時の英語の先生に会って何て言うかが見てみたいものです。このボクが、英語ペラペラ、きっと信じられないでしょうね、、、(^^;)

なぜ英語を勉強しようと思ったかと言えば、、、

自由に憧れていたボクは、自由の国アメリカに行く!だから英語をものにするんだ!と決めたのが二十歳ごろ、、、

又多くの人が英語を使えていない、天邪鬼なボクは、だからものにしたいという願望が更に動機付けを強くしていました。

当時持っていたアメ車の影響も多少あるでしょう、そして全く読めないくせに持っていた横文字の英語の整備の本を眺めながら、

いつか絶対にこれを読めるようになってやる!と闘志を燃やしていました。

後、ファンだった(今でも多少)ブルースリーの影響もあるかもしれません、なぜなら彼も香港からアジア人でありながらアメリカに渡り苦労しながらもその後の活躍につながったので、何か漠然とボクにもきっと何かが出来る!と勝手に信じていました。

そして色々な努力を重ねて、パズルをはめて行くように分かって来ると加速度的に英語の理解度が深まりました。

この勉強方法などに関しては別の機会にご紹介しようと思いますが、とにかく何とかものにした英語を仕事したいと考え、翻訳家になろうと考えたわけです。

ただ、当時のボクは翻訳家という仕事を具体的によく理解しておらず、英語を生かした仕事、翻訳家=高収入(先入観、、)と思い、

どうせやるなら収入が良い事をしようと特に翻訳家になりたいという強い気持ちがあったわけでなく、自分次第で高収入が可能な翻訳家が魅力的に思えたわけです。

ここの所がポイントで、英語又は英語を理解して、異文化を理解できたり、外人と話せるのは楽しい、でも翻訳家になりたかった訳ではない、、という所です。

翻訳家になろうとその為の勉強を独自に始めた頃、ある英語の長文を(何か古い物語)翻訳したときにこの仕事の難しさを実感しました。

まず正しい翻訳をする為には正しい英語の知識や文法は絶対条件、プラス、翻訳する原文の文化的、歴史的背景を理解して特徴的な言い回し等を臨機応変に意訳しないと全く訳わからない文章になってしまいます。

文学や歴史が好きな人にはその分野においてそれ程苦労せず沢山のそういった本を読んで、楽しみながら知識を吸収してけるでしょうが、そういった方面にそれ程興味が無かったボク(今では逆に興味ありますが、、)にとっては中々骨の折れる作業で、又駆け出しならどんな仕事でも断れません、すると翻訳する分野は多岐に渡るわけです。

ある特定の得意翻訳分野を決めてしまえばそれ程苦労しないでしょうが、それで食べていける保障はありません。

実際問題、実力がついてある程度認められるまでは得意分野のみでコンスタントに仕事が回ってくる事はありえません。

もう一つの大きな問題は当時のボクはパソコンをいじれず、当然手書き以外文書も作成できません、当時はインターネットも多少普及してきていた頃でその面でも大きなハンディキャップでした。

又良い翻訳をするには正しい判断の為の知識(記憶力)が大事で、物事を理解するのに多少手間がかかるボクとしては、それを得意とする人々を相手に勝負していけるのか?と言う疑問がありました。

この時少し前に通っていたアニメーション学校のことを思い出しました。

翻訳家(多くはフリーランス)、アニメーター、業種は違っても仕事の質としては似ている部分があります。

スピードと質が同時に要求される世界、しかしその対価は出来高なのでスズメの涙程度の時も、、、

机にかじりついて数時間必死に絵を描き上げ消耗しきっていた自分を思い出していました。要はボクは綺麗に早く書くのがそれ程得意じゃなかったわけです

このときのストレスは半端じゃありませんでした。

アニメーターの話は学校での話しなので実際の仕事となればその数倍、数十倍の量の仕事を毎日こなさなければいけません。

幸い??面接を受けたアニメーションの製作会社には不採用で、その会社の面接官の話を今でも覚えています。

「君の絵は特徴的でとても面白い、でもアニメーションには必要ないし、多分向いていない、ここでは流行の少女キャラやロボットキャラ等を如何に綺麗に早く描いて何ぼの世界、

(今ではデジタル化と外国等への外注で業界も様変わりしているようですが)君みたいなタイプはマンガ家に向いているよ、、、」

確かに、、、マンガ家はボクが小学生の時になりたかった職業ではあります。所属クラブもまんがクラブでしたし、、、(^^;)

でもマンガ家はただ絵がうまいだけではなれません。逆に絵が下手でも面白いネタ、表現力等があれば人気作家になれるかもしれません。

その時点でのボクにはマンガ家になる為のセンスも人生経験も、ネタも無くもう少し色々な経験をしてからの方が何にしても良いと思いマンガ家になると言う選択はしませんでした。

ボクが面接を受けたアニメーション製作会社は確か葦プロと言う業界内では当時まぁまぁの所で入社するのは多少難しかったのは事実です。

もしボクが会社を選ばなければアニメーターとしてやっていく事は可能だったかもしれません。

でもその時点での多くのアニメ作品や業界の特異な環境に多少失望していたのも事実で、残念ながら昔のようなアニメを作る環境とは違っていた訳です。

絵を描くのは好きですが、安っぽい作品や、少女キャラ等には興味なく、子供の頃にワクワクした様なアニメにかかわりたかったのですが、宮崎アニメのような超一流のアニメに関われる程の実力はどう考えてもボクには無く、又流れ作業的な興味の無い絵をただ描くのも空しいのでアニメーターと言う職業は断念しました。

翻訳の話から少しずれましたが、翻訳家と言う職業もはたから見ると何となくかっこいいイメージですが、翻訳が本当に好きでないと続けるのが困難な事に気がついたわけです。

ボクは知らない事を知るという意味で英語をはじめ色々な学問が好きになってきた今日この頃ですが、

その英語を生かして翻訳家になろうとすれば恐らく相当な時間をかけて、英語はもちろん英語以外も色々勉強する必要があるでしょうし、又やり続けないと駄目でしょう。

最近の翻訳機や自動翻訳も単純な工業翻訳程度ならかなり翻訳の精度も上がってきているようです、となるとホントにスキルが高い翻訳家以外は淘汰されていく運命かもしれません。

興味の無いことを勉強するのが苦手なボクは限られた人生の時間をどう過ごすのかを考えると、翻訳家になるというのは目標ではなく単なる通過点に過ぎないのにその通過点で大多数の時間を費やしてしまうのは違うと感じ、その時点で翻訳家になるというのは断念しました。

又振り出しに戻った感じです、、、

10代の頃から好きだったオートバイや車、特に古いやつの整備士になるのはどうか?と二十歳前後に考えていたことも有ります。もともと機械いじりは好きでしたし、どちらかと言えば器用なほうなので、独学で車の修理も覚えて調子の悪かったアメ車を殆ど自分で修理していました。

だから整備士は向いているかな?と思っていたのですが、ボクがしていたのはあくまで趣味の範囲、時間もたっぷりかけて好きな時に好きなだけやっていれば良いこと、でも仕事になれば違います。

当時所有していたアメ車(72年製ポンティアック)の修理はエンジンから始まり、駆動関係、足回り、ブレーキ、電気系統まで殆どを修理交換などをしましたが、確かにエンジン等馬力アップに関しては楽しいのですが、それ以外は面倒くさい、、、

出来ればやりたくなかった修理もありましたが、業者に頼めばえらい高いし、第一あまり信用できなかったので(買った所が余りにひどかったともいえますが、、、相模原に有ったシ○○○、今はもうありません、、(^^;))なのでしぶしぶ自分でやっていた訳です。

後実際に整備士をしていた車好きの知人が「好きでもない車のクラッチ交換とか、面倒くさい修理ばかりで嫌になる、、」と愚痴ばかりこぼしていたので、「好きでも仕事にすると違うんだな〜」と修理工場の整備士になるのは魅力を失っていきました。

どの道も極めれば立派な仕事ですし、その道でがんばっている人たちは皆素晴らしいと思います。

ある意味羨ましく思う時もありますが、人と同じことをするより、余り人がやらないような事をしたいと言う願望が心の奥にあったボクは、将来わかりきった生活からは、いずれにしても飛び出していたかもしれません。

そういった状況の中で空手にはやはり熱中していました。

空手で食べていこうか?、、、もちろん考えたことはありますし、今でも時々思います。

でも既に空手道場を運営している先輩や師範達を見ると、感心するほどよく人の面倒を良く見て、様々な行事に参加しています。

ボクも決して教える事とかは嫌いじゃないのですが、わがままなボクはこれが義務になるとそこから逃げ出したくなる、束縛されるのが嫌いなボクは精神的にまだ幼いのかもしれません。

そんな未熟なボクでは一つの所に腰をすえて何かを成し遂げると言うのはもう少し先になるような気がします。

とにかく未だ色々なことに興味が尽きないボクですが、30歳になろうと言う頃にはホントに色々悩んでいました。

身内は皆定職について暮らしているのに、このボクと来たらどこにあるか分からない夢を追いかけ、あっちへふらふら〜、こっちへふらふら〜、、と、フーテンの寅さんのような浮き草暮らし、、、

揺れ動く孤独な心はいつしか心の触れ合いを求め、壁に突き当たっていたボクはかつて訪れたバルト三国のエストニアへと向かっていました。

風が吹くまま気の向くまま、、、ホントに寅さんのように帰る日も決めずに片道切符でヨーロッパへ出発したボクですが、この旅でボクは色々学んだ気がします。

経済的に決して豊かではないけれどそこに暮らす人々は温かく、そんな人々の温かい心に触れたボクは本当の幸せとは他人と共に幸福感を共有して生きる事ではないか?自分の事ばかり考え、自分だけの幸せを考えていた小さな自分に気が付き、人生を考え直し始めました。

そうなんだ、興味あることをして、更にそれが人の役に立つ人生を過ごすのはこんなに気分のいいものだ、というのに気が付き、存在が認められ又必要とされていると思うと嬉しいものですしボクの心もより豊かになれる、そんな気持ちが芽生えたときでした。

でも天邪鬼なボクは単に人々の役に立ちたいからといっても只自分がボランティア団体や慈善事業団体に属すような方法は気が進まず、、我ながら何でかな〜と思いますが、どうすれば独自にそういった事が出来るだろうか?しかも楽しく、同時に人々に役に立ちながら、、、新たな方向を模索し始めた訳です。

日本に戻り30歳を過ぎても相変わらずアルバイトのみの収入で暮らしながら、焦りを感じつつも、最終的な人生目標にどう到達しようかと考えていた時に出会った一冊の本で見方ががらりと変わりました。

その本は日系アメリカ人が書いた「金持ち父さん貧乏父さん」です。

この本はミリオンセラーになったのでここをご覧くださっているあなたも読んだ一人かもしれません。

この本を読む前まではボクはどうやって雇われて収入を得ようかとばかり考えていて、自分から稼ごう等とは考えたことも無かったので、それで壁に突き当たっていました。

会社や非営利団体等に属して活動する事の方が、実はボクが目指している事の達成は早いのかもしれません、、、

でも人生は一度きり、と言う想いが強く、色々体験してみたい、人がやらない事をしてみたいと思っているボクはあえて困難な方を選んでいるようです。そしてそれがはたして良いのか、悪いのかはまだ分かりません、ただ良い方向に行っているという事を信じるのみ、、、(危うい、、、)。

とにかく、雇われることの危うさ、そして自分でビジネスをする事の可能性を感じたボクはとにかく何かビジネスを自分で始めることにしました。

しかし無知なボクは何をどうはじめたらよいのかさえ良く分からず、とりあえず本屋に行きSOHOなる個人事業に関する本を買い研究することにしました。

丁度そんな時空手道場に通っている道場生の一人のご両親が小さな会社を経営していて、その道場生のお父さん(社長)がその会社で売っている商品の営業を探しているとの話を聞き、直接会って商品等について話を聞いてボクも社長さんも意気投合、そして思ったのは、これは会社等について色々勉強になるかもしれないと思い全く知らない業界でしたがその会社の営業としてしばらく働く決意を固め、お願いする事にしました。

ところが、、、

実はこの社長さん、探していたのは営業社員ではなく、商品を売ってくれる販売代理店だったのです。

この会社で働こうと勘違いしていたボクですが、既に乗り気の社長さんの勢いでその会社の商品を扱う販売代理店として商売を始める事にしたのです。

それがボクにとっての商売の始まりでした。

この商品とは、自動車メーカーの純正カーナビゲーションのテレビ映像等を走行中も見られるようにするという製品、この業界でもこの会社は老舗らしく、又独自の開発を行っている下請けと協力して他に無い製品を開発しているので必ず売れる!と社長さんは太鼓判を押してくれました。

ちょっと高い商品ですが、相当自動車販売ディーラーなどに売れているようで、何もかもが初めてで不安だらけでしたがこれならボクでもきっと売れるのだろうと単純に思っていました。社長さん曰く「もし売れなかったら商売に向いてないよ」と言われるので相当良い製品なのだ!ボクはついていると喜んだものです。

そして話を聞けば聞くほどなんだかすごいモノの様に思えて、プロジェクトXにもいつかでるんじゃないですか?とまで開発技術者に話したら「それは無い」と笑っていました。

今思えば業界についての知識不足とボク自身の製品に対する思い込みが強すぎたようですが、、、(^^;)とにかくやると決めたからにはとにかくベストを尽くして、何でもやる覚悟でした。

社長さんからは社長さん自身が会社を立ち上げた当時のモーレツ?な話を聞き、とにかく根性だ!気合で営業すれば必ず売れる!と勝手に信じていました。

営業と言えば、見た目も大事、という事でボクのお店の名前まで刺繍した上着を作り、名刺もたっぷり作り、社長さんから頂いた製品のチラシにお店のゴム印を押したものを携え、ばっちりスーツを着込んで近場の修理工場や自動車販売ディーラー、中古車販売店等に飛び込み営業を開始したわけです。

ところが、、、

営業に回れど回れど、製品は一向に売れず、、、一生懸命説明すればするほど何だか引いていく感じ、、、それもそのはず、、、

相手は欲しい、必要だ!とも思っていないのに一方的に売り込んでいる、いわば押し売り状態、、、

彼らの態度から見てどうやってボクを追っ払おうかを考えていたに違いありません、、、、

そんなただチラシと名刺を配り歩く日々が1ヶ月近く経ち、一つも売れない状況で、

これは何かおかしい、値段が高いのか?、、、と一番やってはいけない意味も無く安くすることまでしてみたり、、、

きっとボク自身の営業の仕方が悪いんだ、、、確かに営業トークは得意ではありません、、、

どこの誰かも分からない若造から欲しくも無い見知らぬ商品を買う、、、

ありえません。

という事で、時間がかかり一向に成果が出ない飛び込み営業作戦は止めて、下手な鉄砲数打ちゃ当たる!作戦をすることにしました。(我ながら馬鹿ですね〜、、、(^^;))

とりあえずは近所から始めて、純正カーナビを付けていそうな車を見かけた家のポストにチラシを入れまくりました。

とにかくこのチラシを見た人が興味を持って買ってくれることを期待して、、、

今思えば全く無意味なことをしていましたが、当時は何も分からず、社長さんから聞いた気合の入った売り方に影響され、とにかくしらみつぶしにチラシを入れて宣伝すればきっと何らかの反応があるはず、、、と信じてチラシ配りの日々を続けました。

しかし全く反応の無い状況、、、で考えてみるとこのチラシは製品を紹介していますが、対応車種等は載っていなく、値段の掲載も無く、問い合わせのみを待つチラシ、しかも社長さんの所の会社名、住所、ホームページアドレス、E-Mailアドレス、連絡先入り、、、

ボクの所を知らせるのは奇麗とはいえないゴム印の電話番号と屋号、住所のみ、これで売れれば驚きです、、、(^^;)

下手な鉄砲数打ちゃ当たる作戦が失敗に終わり、次の作戦を実行する必要があると考え、又やってはいけない事に手を出し大損することになりました、、、

それは、、、

そう、新聞に広告を掲載すること、、、

でも、全国紙等に広告を出す資金など当然ありません、(又出せたとしても見つけるのが困難なくらい小さいでしょう、、、)

無知だったボクは売れない理由は圧倒的な数の違いによるものだと勘違いしていて、チラシを一生懸命配っても一日せいぜい千件程度、でも新聞広告なら一気に何十万、下手すると百万以上の人に知らせることが出来ます。

そうだ!これしかない!と馬鹿なボクは月に一回配られていた比較的しっかりした作りのフリーペーパーの会社に広告掲載依頼を出したのです。

担当者としては何も営業せずに広告を出したいとお客から連絡が来たわけですから、喜んでボクの所にやってきて、こうすれば売れますよ、もっと目立つようにこのくらいのスペースは必要です、ページの位置も重要です、等々、、、担当者に乗せられるままに契約。

でも資金的にそれ程余裕も無いので30万円くらいの広告にしました、、、(^^;)

で、この30万円くらいの広告でどのくらいの効果があるかは不明でしたが、担当者によればこのフリーペーパーは読み捨てというより何度も読み返される率が高いので普通の広告よりも効果が高いはずです、と自信たっぷり(怪しい、、、)

大きさとしては10センチ四方の中に大きなイラストと宣伝文句「走行中でも純正カーナビでTVが見られる」を入れ、この時はきちんと値段も入れました、が対応車種等詳しくはスペースの関係上問い合わせ、、、

広告掲載号の発効日(日曜日)までドキドキしながら待ちました、、、

そしてその結果、、、

記念すべき第一号の問い合わせ!!、、、がしかし、未対応の車、、、そしてもう一件!、、、又未対応、、、更にもう一件、外車、、、未対応、、、

その後は全く問い合わせなく、きっと皆出かけてて夜に帰ってきて読むのだろうと期待して翌日の問い合わせを待ちました。

でももうお解かりですよね、そうです、その後問い合わせはありませんでした、、、ショックでした、、、

どうして?なぜ?何がまずかったのか?、、、

で担当者と話をすると、通常問い合わせは1000人に2〜3人程度、その中から買う人は更に100人に2〜3人くらいとの事、、、だとしてもボクの場合は少なすぎる、、、まだ広告掲載から日が経っていないからもう少し様子を見ましょうとの事、、、

でもいくら待ってもその後の問い合わせはありません。

そして担当者から出た言葉は、「こういった広告は連続して掲載しないと効果が薄いです」、、、出た!、、、(とは当時は思いませんでしたが、、、)当然この人たちは広告主から広告料を取ってきて給料をもらっている人達ですから、とにかく広告を載せてもらうための営業トークは上手です。

でも、実際に広告主の商品を売るノウハウは有りません。

ですから効果があろうと無かろうととにかく広告を出す、一箇所が駄目なら、別のエリア、それが駄目なら、デザインを変えて、掲載位置を変えて、連続して掲載して、等々、、、

ボクもその時はやはり連続して広告を出さないと認知されないのだろうか?、、と担当者の説明を信じて仕方なく再度広告を別エリアに2ヶ所に出すことにしたのです。

今から思えば全く盲目的で愚かな行為としか言いようがありませんが、当時は一度失敗していますから藁にもすがる様な気持ち、、、でも、この精神状態がまずいんです。

でもちょっと考えたボクは単にいきなり売り込んでは駄目なんだ、ではどうしようか??

そこでとにかく製品の良さを知ってもらう為に、使ってもらう為のモニターの募集という広告を出すことにしたのです。

これならお客さんには殆どリスクはないし、きっと行けるだろうと考えました。でも、、、

フリーペーパーの担当者曰く、以前浄水器のモニター広告でトラブルがあったのでモニターの広告は通常断っているとの事、、、

でも、今回上司から特別に許可をもらいました!とこれまたうまい営業トーク、、、のせられるがまま今回は少しケチって15万くらいを考えていたけど、どうせ出すなら効果的なほうが等々で25万くらいの広告を出すことに、、、それも2ヶ所別々なのでスペースは前回の半分以下が2つ、、、

淡い期待を寄せながら、モニター募集が殺到したときに備えてどうやって製品を取り付けて回ろうかルート等を考え、いよいろ広告掲載日を向かえました、、、、

もうお解かり?、、、(^^;)、、、結果はまたもや惨敗、、、

今回は一件すら問い合わせなし、、、全く広告が見られていない様子、、、例え見られていたとしても興味ない人ばかり、、、

担当者からは更に継続して、等々、、、、断りました。

これは大きな教訓になりました。新聞やチラシ、ダイレクトメール等の広告を作る人達は決してモノを売るプロではないと言うこと、それが分かっていれば無駄なお金と時間を使わずにすみました、、、

又、後から気がついたことはこのフリーペーパーは主に女性が好む記事が多いということ、という事は女性のほうが読者が多いのでしょう、、、

悪あがきはまだ続きます。

不特定多数の一般の人に訴えるから駄目なのか、、、ならば自動車業者に絞れば反応は変ってくるのでは?と考え、

もう余りお金を使える状況に無いボクは自分でダイレクトメールを作成し、自動車関連業者に自分で配ることに決めました、、、

今から思えばとんでもない事ですが、当時は必死でとにかく徹底的にやる!とだけ決めていたのでやれる事はすべてやろうとしていました。

そこで最後の手段がダイレクトメールだったわけです。

でも自分でチラシ沢山刷れるほど、又配達を業者に頼む程資金はありません、パソコンは当時まだ無かったのですが、なぜか複合プリンターだけは買っておいたので、何とか紙切り貼りして更にそれをコピーして等々、、、でオリジナルの広告と、価格適合表、自分で描いたマンガで製品を紹介するショートストーリー、、、それらを封筒に一つ一つ手でいれ手書きであて先と住所を書きました。

住所などは図書館に行き、神奈川県の地域ごとの職業別電話帳の販売ディーラー、中古車業者、修理工場、ガソリンスタンド等車に関する所全てをコピーしまくり、それをそれぞれ地域ごと業者ごとに切り分けて、ノートに貼り付け、そしてダイレクトメールに書き込んでいったわけです。

これは今思い出しても非常に大変な作業でした、、、

数は数えていませんが、横浜市の一部、横須賀市全域、三浦市全域、逗子市全域、葉山町全域、鎌倉市全域、藤沢市全域、茅ヶ崎市全域、平塚市全域、の全ての自動車販売ディーラー、中古車屋、修理工場、ガソリンスタンドですから結構あったと思います。

で、ダイレクトメールが完成したときにはダイレクトメールの入ったダンボールの山又山、、、そして、これを配るのがまた更に何倍も大変で、これは修行なんだ!と心に言い聞かせてやっていたのを思い出します、、、、

そう、あれは初夏の暑い6月ごろ、、、、、夏の日差しに照らされ、陽炎たちのぼるアスファルトを突き進み、最初で最後になるであろう初めて訪れる場所をさまよい、、、

ダイレクトメールの数に圧倒され、終了は果てしなく遠くに思えました、、、ホントよく頑張ったものです、自分でも感心します。

明細地図は図書館で見つけられるのですが、エリアが広すぎてコピーする数がとにかく膨大な数になってしまうので、分かりにくいのですが市販されている神奈川県の地図をコピーして(それでも相当の枚数でした)ルートを決めていきました。

コピーした地図に多分このあたりだろうと所在地に印をつけ(現地に行けば分かるだろうと思い)配達順に番号を振って道に色ペンで線を引き地図を見るたびに混乱しないように工夫しました。

初めての所ばかりですが昔宅配ドライバーをやっていたのでどんな風に配れば効率的かを考えた結果な訳です。

又以前ポスティング(ダイレクトメールやカタログ配達)をホンダのダックスを少し改造し後ろの荷台を補強しでかい収納ケースをくくりつけてやっていたので、今回もバイクで効率的に配る計画を立てました。

初日は気合が入っていたので良いのですが、翌日からは中々減らないダイレクトメールの山を眺めながら後どのくらいかかるのだろうか?、、、とめげそうになる気持ちをアニマル浜口のように「気合だー!!!」と鼓舞していました。

とにかく終わりまでの道のりは長かった、、、ホントに長かった、、、、途中改造したバイクの荷台の溶接がもげて途中でやめて溶接しなおしたり、、、、タイヤがパンクして大船から押して歩いて帰ったり、、、

茅ヶ崎から平塚に入ろうという頃には走行距離が1000キロを超えていました、、、

古いダックスは頑張ってくれました、、、(^^)

毎日配達し続け、そして約2週間後平塚で一区切りを付けて終わりにしました、、、いゃ〜ホントきつかった、でもある意味達成感がありました。

で、反応ですが、、、

これまでで一番良かったです。

でも問い合わせが15件程度、で実際に購入してくれたのが4〜5件でした、、、(^^;)

きつかった、、、でも注文が入った時は、、、とにかく売れた、、、良かった、、、

でもあんなに働いて、注文がこれだけでは全然わりに合いません、、、

ダイレクトメールを自動車関連の業者に送ればいくらかは反応があることが分かったボクは、全国的にダイレクトメールを送ってみることにしました。

でも、もちろん今回は自分で配達する事は不可能(可能でももうやりません、、、)なので多少お金を出して、郵便局から出しました。

あて先は前回と同じように電話帳等から見つけて、自動車販売ディーラーのみに絞って一つ一つ手書きしたのは同じですが、配達の時の厳しさを思い出せばどうって事なく感じます。

ダイレクトメールを出してしばらくすると、FAXで注文が来るじゃありませんか!!、、、

自分で言うのも何ですが、散々営業して駄目だったのに、あんなダイレクトメールでボクみたいな所と取引しようと言う自動車販売ディーラーがあることがちょっと不思議でした。

自動車販売ディーラーの場合は問い合わせは無くいきなりの注文で、この辺りが一般のお客さんとは違う所です。

合計で15箇所くらいの自動車販売ディーラーから注文が来たでしょうか?

その中の幾つかはその後も何度も注文をくれて、とにかくやり方を変えれば反応があるのが分かったのは収穫です。

でもかけた時間、費用と実際に売れた数を考えると十分ではなく、全く別のやり方も試してみることにしました。

それは、、、

今までは自動車関連業者に直接尋ねて営業したことはありますが、お客さんと直に対面して訴えたことは無かったので、又オリジナルのチラシと名刺をコピーで作り直接説明してみることにしました。

場所は、長く車検の代行の仕事をしていたガソリンスタンドの所長にお願いして、ガソリン入れに来る車に純正カーナビがついていれば営業する、と言う作戦です。

いきなりボクが声を掛けてくるのでビックリするお客さんもいましたが、反応としてはまぁまぁ、説明後にチラシと名刺を配り、中には直ぐに付けたいという人もいましたが、よく確認すると未対応なんて事も、、、(^^;)

同じ車のオーナーに声を掛けないように車種とナンバー等をノートに控えておいて、脈がありそうな車が来ればどんどん声を掛けていきました。

この作戦は少し間を空けて7日間ほど続けたでしょうか?声を掛けたのは数百台くらい、、、

それで、ダブった車も見られる様になってきたのでこの作戦を終了しました。

それで、結果はと言うと、、、

実際売れたのは1台分、買いたいと申し出てくれたのは4〜5人でした。

新聞広告より圧倒的に率はいいのですが、とにかくガソリンスタンドにへばりついていないと駄目で、余り効率が良いとはいえません。

もうこの辺りがこの商品を売る限界なのかな〜?と考え出したのがこの頃です。

まだこの時はパソコンを持っておらず、ホームページを作って売る等とは考えていもいませんでした。

なぜパソコンを持っていなかったか?

とにかくあのキーボード(当時はキーボードがパソコンだと思っていました、、、(^^;))あれが相当ハードルが高そうで、遠い昔ほんの少しだけアニメーション学校とヤマト運輸の営業所で、人差し指のみで教えられたキーをポチポチと触ったくらいです。

何がどう機能していたのかは全く理解していませんでした。

通信販売というのも一つの手かな?とは思いましたが、費用がかかりますし、掲載場所を間違えるとぜんぜん駄目なのも経験済みなので当時のボクでは手が出せない方法でした。

そうして販売作戦に行き詰まりながら色々模索している時にホームページを作り、インターネットで商品を販売すれば費用はかからず、しかも自動的に売れるという夢のような本を見つけたのです!

実際にこれまで色々試してきた中で唯一避けてきたのがパソコン関連の事でした。

どうにかこれ(パソコン)なしで出来ないだろうか?と色々やってきましたが結果はイマイチ、、、

でも本に出ていた夢のような話はとても魅力的で、実際その時点でボクに出来ることはそれしか残っていませんでした。

しかし、性格上人任せは嫌なので、とにかくパソコンと言うものを知る事からはじめ、数ヶ月ほどパソコンとは何なのか?を調べました。

それまで時々目にしていたエクセル、ワードと言う言葉がそのときはじめて、パソコンのソフトと言う事を知り、現在の日本ではパソコンなしでの商売は難しいと言う事を十分理解しマスターする事を決心したわけです。

決めたからにはとことんやるのがボクの性格で、徹底的に調べました。

調べた結果一時はパソコンを自作しようか?とまで考えましたが、結局ショップブランドのパソコンを買ったほうが安く手っ取り早いので、雑誌に広告が出ていたかなり安いデスクトップパソコンの店(秋葉原)へ直接行き、、、(^^;)買って帰りました。

パソコン購入後半年間ほどはいろいろな面で格闘しながら、キーボードもブラインドタッチをマスターすれば早く文字が打てると言う事ではじめからそれを考えてブラインドタッチに挑戦!

スピードは遅いものの、練習していくうちに見なくてもキーボードで文字が打てるようになってくると、やれば出来るんだな〜と我ながら感心しました。

実際にパソコンをいじってみて分かったのは想像していたよりもはるかに簡単で、現在のパソコンは誰でも使えるようなものになっていました。

ボクはパソコンといえば訳の分からない横文字だらけの、コマンドを入力するイメージを持っていましたがそれははるか昔、、、

今は時代が変りました。

そしてパソコンを持ってからの話は既に別の項目でも書いた様に、いかに費用をかけず、又固定費も安く、長い目で見て運営に手間がかからない方法の模索が始まったわけです。

でもインターネットと言う武器を手に入れたボクはこれを駆使し、最適?と思われる方法を自分で見つけて現在に至るわけです。

もちろん、かつては何もかもが未知のゾーンだった訳ですからホームページ完成までには更なる試行錯誤があったのは言うまでもありません、、でもその時思ったのは、ボクの様な素人は価値ある?情報を十分理解するだけの知識が無い、しかも情報はある特定の分野に絞ったものが殆ど、、、その為ページ完成までには本当に時間が掛かりました、、、

いよいよホームページを作成後に純正カーナビ用の製品を販売したところ、、、ナント!、本当に何もせず、寝ている間にも注文が来ていました。

そして、売り上げ自体も体を張って時間と労力をかけていた時の数十倍をあっという間に稼いでしまいました。

これは本当に驚きとしか言いようがありません!

今までボクの知らなかった世界が存在していたんだということを改めて認識しました。

又、商用ホームページ作成に関わっていると必然的にその他のプログラム、特にPerlに代表されるCGIプログラムを避けて通れません。

ですので、当初は購入した本に付いてきていたCGIプログラムや無料で公開されているCGIプログラムをそのまま何もせず利用していましたが、デザインや拡張性等がイマイチ、何とか自分で作成できないか?、、との想いが募り、参考書を片手に基本から勉強し、トライ&エラーの格闘が始まりました。

ホームページのソースに比べると、けっこう難しい部分もありましたが、(未だにあります)コツコツ時間を掛けて独学で学び、自分でプログラムを書いたオリジナルのCGIソースプログラムを完成させた訳です。

それがここで紹介しているオリジナルのCGIプログラムです。

ホームページとインターネットの可能性に気がついたボクは、検証もかねて全く別のホームページも作ってみる事にしました。

それは現在一時的にサービスは中止していますが、バルト三国のエストニアに関するサイトです。

ボクの知っているエストニアに関しての情報発信(今でこそ知名度が上がってきているエストニアですが、昔は殆ど誰も知りませんんでした)と現地の工芸品等を個人輸入の代行をするサイトを作りサービスを始めてみたところ、、、

まだ正式に検索エンジン等に登録していないのにもかかわらずニット製品を中心に注文が殺到してしまい、作るのが間に合わず注文後にえらい長く待たせてしまう問題まで発生してしまいました、、、(スイマセンでした)

その後エストニア現地での運営上の問題もあり現在は残念ながら一時的に中止していますが、確実にお客さんは存在しますし、素直な気持ちを訴えていく事で理解してもらえる事が分かったのでいずれ別の形でホームページでのサービスを再開できればいいなと考えています。

今では、運営に関わる拘束時間は圧倒的に少なく(実質電話対応とメール確認、発送業務、経理関係、ホームページのメンテナンスのみ)、発送業務を除けば実質どこででも仕事が可能です。

なのでボク自身の個人的な活動の一つの空手を中心にヨーロッパに長期滞在したとしても、ホームページでの商売は場所を問いません。これは以前と大きな違いです。

現在東ヨーロッパでも無料、或いは安いWiFi等ワイヤレスホットスポットやインターネットカフェが普及し、現地のプロバイダーと契約しなくても、日本のプロバイダーのアクセスポイントから接続しなくてもインターネットにつながる環境が整いつつあります。

ですので相当な田舎じゃなければネットにつながる環境は確保できるでしょう。と言う事は?そうです、旅先で仕事が可能なんです。(^^)

そして、日本にはホームページ作り等に関してボクと同じような悩みを持っている人が実は沢山いると言う事が分かりこのサイトを作りました、そしてオリジナルのフォームメールCGIを作成して希望する方に無料で差し上げています。希望者はこのページのフォームメールから申し込んでください。

このオリジナルの簡単設定CGIでなるべく手間をかけず、安い費用でどんどんお客さんを獲得していってもらいたいです。(^^)

ホームページでお客をゲットしインタラクティブな仕組みを実現するオリジナルCGIプログラムの紹介はこちらです。


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